丸丸ゴシックは
漢字が2種類セットになっています

角のカーブが小さいSr(左)と大きいLr(右)です。
Srは、オーソドックスで、まじめ、きちんとしたといった印象です。
Lrは、かわいいといった印象ですが、篆書を思わせる悠久の時とやさしさを持っています。
漢字の使い分けができる丸ゴシック、これは本邦初です。
名前が「丸丸ゴシック」になったのはこのためです。


※篆書(てんしょ)=漢字の書体のひとつで、大篆と小篆があり、隷書・楷書のもとになっている。
 一般的には、小篆をいう。現在は、印章などに多く使われている。


仮名のちがいで3種類にわかれています
それぞれに漢字2種類がセットとして入っています
丸丸ゴシックA  丸丸ゴシックB  丸丸ゴシックC


雑話 1

先週、(2009年4月1週)桜が満開になりました。今週になって散りはじめ今は桜吹雪となっています。いつしか桜が見られることに感謝する歳になりました。別にどうってことないのですが幸せな気分になります。今年は開花宣言してから雨混じりの花冷えが続きそのせいで満開のタイミングが1週間ほどずれました。おかげで天気も安定し、すばらしい花見ができました。事務所のあるここ成城は桜が多い地域のようで花びらが散り始めると道が白くなり雪のようにも見えます。わずかな風で舞う花びらは小さな蝶が春の陽射しを喜んでいるみたいです。ときおりの強い風でわあーと降る花びらが通りすがりの人の肩や頭にのっかります。それは、青空の下、小学校の入学式を終えたばかりの希望に満ちた晴れ晴れしい親子にだったりします。母親と手をつなぎ弾む声で話すちいさな瞳はキラキラとまぶしく見えます。桜はそんな姿に花をそえているかのようです。
 道に落ちた花びらはすこし強めの風を受けるとコロコロと回転してアスファルトの上をいくのです。こんな光景を見たのはこれまでの記憶にありません。何十個の花びらが一斉に同じ方向に同じような回転でころころコロコロ。倒れそうで倒れず左右に振れながらがなんともおもしろく見ていて飽きません。風が弱まるとふわりと倒れ、風が吹くとふるえだし、浮き上がりそうになったり沈んだりを繰返すのだけれど何かの拍子で縦になりころがりはじめるのです。今年は、見上げる桜、降り注ぐ花吹雪、足下で転がり踊る花びらと3つの表情を見せてくれました。なんだかすこし得した気分になりました。

雑話 2

丸明をつくり、iroha gothicをつくったので、次は当然丸ゴシック、とためらいなくとりかかりました。iroha gothicのデータが活用できるということがそうさせたのかも知れません。いくつかの漢字をつくっている時にふと角の丸味はこれでいいのだろうかと疑問がわきました。「品」、「田」「見」、「月」、「鳥」、「間」、「音」、「虫」、「願」、「岡」のような角丸のアールのつけ方が表情におおきく影響する漢字を選び、丸味を変えて比べる。さてどれにするかとなった時、きめられないのです、これが。性格がでるというかそれぞれに味があるので迷うのです。結局、ひとつに絞ることはできず角の丸味の小さいのと大きいのとの両方を作ることになりました。
 後になって考えてみたのですが、制作途中で疑問に感じたことを解決したことであたらしい表現が生まれたといえるわけです。なぜ、どうして、と思ったそのことに対しキチンと向き合うことは、余計なことでも、遠回りでもない。むしろ、次の書体ためのヒントや表現のためのあたらしさが潜んでいるということを発見したわけです。ちょっとしたこと、些細なことは無意識のように見逃してしまいますが、じつはそういう中に大事なことが含まれているということを書体を作るようになって学びました。「意識」という言葉は普段よく口にするため、なんとなく軽く捉えがちです。「意識」とは、物事に気づくこと。また、その心。と、辞書の最初にでています。そういう意味は言わずと知れたこと、と誰もが知っているためいまさら意識の深さなど確認しません。でも時々は確認しなさいよ、と漢字にたしなめられました。書体制作はおもしろい、といつも口にしている理由のひとつです。

雑話 3

丸丸ゴシックって、どうやって作ったの。という質問を時々受けます。iroha gothicのラインデータ(1本の線で書いたもの)があるのでこれをベースにしてます。iroha gothicの先は、直角にカットされてます。ライン処理の指定をバット先端にしているためです。あえてそのままを生かした形になっています。それは、ゴシック体の考え方がモダンでシャープなゴシックにしたいという思いがあったからです。(話がそれました。)iroha gothicのバット先端を丸形先端にすると半円分長くなります。その長さを調整し、一定の大きさに合わせていく、これが第1段階です。漢字の数が7000弱、1字に10分としても1167時間、日に8時間として146日、約5か月です。かかりきりで作業できないためちょっと油断すると1、2ヵ月はあっという間に過ぎ、できたかなと思うと1年がとっくに過ぎていたりします。
 次に視官の錯覚を修正する作業があります。例えば、「木」、2画目の縦線は1画目の横棒の上と下では、上を太くしないと同じ太さに見えません。「イ(にんべん)」の斜めの線の交わった所の右上と左下も右上を太くしてます。同じ長さでも縦位置と横位置では、横位置が短く見える。小学校の理科でならったことのバリエーションといえます。その他、「国」の角は丸くするほど小さく見えるため、すこし拡大する。などかなりあります。この修正が第2段階です。SrとLr、共通の漢字もあるのですが、90%位は、別々です。7000の倍、14000の90%=12600位をいじることになります。1年など飛ぶように過ぎます。そして、3種のかなとローマ字、記号、約物があります。これも、iroha gothicをベースにしているので比較的らくですが、1年位はかかってます。
 最後は、いろいろ文章を組んで、縦に横に大きく、小さくしたり、行間を詰めたりしたものを出力してチェックし、赤字が入ったら修正→出力→確認を繰返します。他の仕事の絡みもあるのでこれだけで3〜6か月でしょうか。こんな感じです。長丁場ですがキーボードを打つと自分の文字がモニターに表示される。涙がでるくらいの達成感が味わえます。見ず知らずの人が申し込んでくださる。もうわけもなくうれしくなります。

雑話 4

財団法人日本タイポグラフィー協会に所属してしている関係で時々文字がらみの遊び的な、というと怒られそうだけれど気軽なテーマで興味を持った人が参加するという催しがあります。丁度よい気分転換になるので時間の許す限り出品しています。今年の2月にそのお知らせが来て、今回は与えられたアルファベットをモチーフに伝統文化の江戸染めを使って表現するという、いいかえると和洋折衷のおもしろさを楽しむ趣向のようでした。
 わたしは片岡なので「K」。「K」をどうしようかな。2、3日、考えることになります。この時、イメージの幅の振れ方が大きいほど表現も多彩になるわけで、言うのは簡単だけどこれが意外と難しいんです。というか苦手なんです。これは表現者にとって問題なんですけど性格というか持って生まれたものなのでいまさら変えられません。だったら何か別のものでカバーできないか。いつの頃からか幅がないなら深さで勝負しようと考えるようになりました。わたしの場合、表現の根底、背景にあるのは、思いやりや愛情、あるいは、歴史の遺産を大切にする、といったことなのでそこを深く掘り下げると(深くと言ってもたいしたことないんですが)この人間愛というテーマが一筋縄ではいかない。往々にしてわざとらしい、鼻につく、言わずもがなとなります。レベルの高い表現だと思ってます。だからこそ味わいがあるとも言えます。長いながーい人間の歴史の中で共通するものは、人間の感情、喜怒哀楽です。この人間の感情の琴線に触れる表現案はいつの時代にも通用するのでいつもこの部分に意識を向けていればイメージの振り幅が少ないわたしでも多少勝負できるのではないかと思っているのです。
 左は、同じ江戸の伝統文化の切り子を「K」で表現してみました。いつだったかTVの番組に取り上げられていた薩摩切り子が強く印象に残っていたのでしょう。何となくどうなるのかな、と思いながらやってみました。右は、切り子を見てちょっと「K」がわかりにくい、考えすぎたかなと思ったので、もっと「K」をわかりやすくしたい、でも味わいはほしい。そこで思いついたのが紙相撲でした。これを2個ならべなんとなく仲よしっぽく見せました。これも考え過ぎかしらん。

雑話 5

仕事場は、ワンルームマンションを改装したもので、手掛けた建築家S氏にコクピットと呼ばれました。手足が身長のわりに長い私にとって、なにをするにもちょっと動けば間に合うのでうまいことをいうなあと感心しました。そんなスペースで日々モニターとキーボードに対峙しているとたまに人と会うのは何より気分のリフレッシュになります。たまにお会いする方に字游工房の岡澤慶秀さん(当時)がいます。同じ小田急沿線ということもあって時々蕎麦屋や飲み屋でお付き合いいただいてます。社長の鳥海さんは住まいの方向がちがうので、わたしが出向いた時、高田馬場の事務所にお邪魔したときにお気遣いいただいてます。いつも笑顔の新入社員の岩井さんにも思わぬところで会ったりします。
 記憶は定かではないのですが、2007年の暮れ頃、新宿東口のとある飲食ビルで岡澤さん、大崎さん(フォントワークスから書体「くろがね」をリリース)の3人で飲みました。どんな話をしたのかはほとんど記憶にありません。が、ひとつだけ忘れるわけにいかないことがあります。丸ゴシックの制作中だったこともあり、ネーミングをどうするか頭の角に引っかかっていました。「何かいい名前ないですかね。」ほろ酔い気分のわたしの問いに2人は割と真剣に、でも思いつくままにしゃべってくれました。漢字が2種類ある丸ゴシックだから「丸丸ゴシック」というのはどうですか。片岡さんには丸というイメージがあるし。岡澤さんがいったこの言葉が胸にスーッと入ってきました。なんという素直さわかりやすさ。長く広告の世界にいたためこの「素直さわかりやすさ」に惹かれたのかも知れません。(別に広告の世界にかぎらないぞ。と怒られるかも知れませんね。)「あっ、それ決まり。」とわたしは口走ったかどうかは忘れましたがそんな気分になったことは事実です。隣の大崎さんは神秘的な笑みで頷いているようでもあり、舟を漕いでいるようでもありました。何をしゃべるでもなくとりとめもない話題が体に一番よく酒が美味いと心がけているアバウトなわたしの一言にお2人を付き合わせた夜でした。
 「丸丸gothic」名付け親の岡澤慶秀さんには、心より感謝するとともにこの場を借りて御礼申し上げます。

雑話 6

百花繚乱=種々の花が咲きみだれること。転じて、すぐれた人・業績などが一時にたくさん現れることにいう。(広辞苑)
 書体の歴史を振り返ると関東大震災、戦争、コンピュータが大きな節目になっていると感じます。活字が生まれた明治時代から大正12年におきた関東大震災までの約53年間、震災復興から第二次世界大戦までの23年間、そして戦後復興からコンピュータが生まれた約45年間、そしてコンピュータがデザインの道具として定着してから今日までの約15年間と大きく4つにわけることができます。関東大震災までの半世紀は近代文明への道で活字やレタリングの文化が花開いた時代でありますが震災により多くを失いました。震災復興から大戦までの23年間は、失われた遺産を取り戻す時代だったのかも知れません。しかし戦争という国家威信のまえでは、活字は武器としての材料にすぎず多くの活字が消えました。戦後、近代化への道をめざしました。大量の情報を処理するためのオフセット印刷やヨーロッパ技術にヒントを得た写植機という組版が登場し市場を席巻しました。この45年間は活字文化をある部分取り戻しました。平行してあらたな書体が創出された時代でもありましたが基本的には字形を四角いスペースに納めるという活字文化、活字組版の延長線上での考え方であったと思います。
 そして、コンピュータの到来です。これまでの仕事の流れが一気に変ってしまいました。より速く、より安価に、よりわかりやすく便利になりました。それまで席巻していた技術、文化はあっけなく崩れました。膨大なデータ量を必要とする日本語書体の制約もコンピュータの処理能力が飛躍的に伸びた今日では、それほどのストレスではないのでしょう。多くの書体が開発され世に出始めています。これまで企業規模でしか実現できなかったことが個人でできる時代になりました。当然そこにはあらたな息吹をもった書体が加わることになります。いよいよこれからが書体文化の百花繚乱の時代のスタートだと感じています。書体に興味をもつ人やつくってみようかなと思う人に私の書体が眼に止まって、「なんじゃらほい」とでも思ってもらえればうれしいです。

制作話