まるみん
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丸明朝体
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モジ、アカルイミライ。

 いつものようにSは、成城にあるゴルフレンジで、ボールを打っていた。 練習するほどに下手になっているように感じるのだが。それでも毎週ここにやって来るのは、仕事に追われる日常から、逃れるためなのだろう。 そこが、ひとりきりになれる唯一の場所。至福の時間になっていたのだろう。バシッ、バシッ、チョロッ。その日も相変わらずダフってばかりいた。 Sにとってアートディレクションほど、ゴルフは上手くいかないようである。と、そこへ突然友人のKがやって来た。SとKは、もう30年来の付き合いだ。 昔渋谷にあった小さな広告代理店で、席を並べていた。そのKも最近始めたゴルフに、のめり込んでおり、ここはKの自宅のすぐ傍にある練習場なのだ。 それまでも、度々Kとはここで会っていたのだが。その日は、いつもと様子が違っていた。 Kは紙袋から、ふたつ折りの束にしてあるA3の出力紙を広げると、Sに見せた。 その紙には、それまで見たことのない美しい明朝体の文字が、さまざまな大きさで文字組されていた。 「コレガ前カラ話シテイタ、新シイ書体ナンダ」。やや照れくさそうに言う。少し緊張しているみたいだ。 その新書体を見た瞬間、Sは大きくうなずく。いつも感動した時に口走る、癖のようになっている言葉を発する。「イインジャナイ!」。

確かなSの反応で、Kの口元がほころぶ。明治初期の活字からヒントを得て制作した明朝。構想から5年を要したという。 書体の名は、丸明オールド。懐かしくて、モダンな明朝体だ。漢字とかなの大きさのバランスが、極端に違う。 が、不思議と縦に組んでも、横に組んでもキレイで読み易い。筆文字のような形のかなが、特に新鮮だ。「イインジャナイ!」。 これという自分のスタイルを持たない流儀のSにとって、美しく新しい書体の出現は、歓迎すべきことなのだ。 特にSの場合、人一倍文字にうるさい。コピーを重んじる、つまり、とてもデリケートに書体を選んでいる。 Sが選択する書体は、その時最も機能する書体であり、デザインなのだ。デザインの為のデザインではなく、必然としてのデザインなのだ。 「デザインハ、引キ算ダ」が持論の、Sのデザインはとてもシンプルだ。Sほどいろいろな書体を的確に使うADは、他にいない、と言われる。 そのSが、新書体を見て、ニコニコととても嬉しそうにしている。つられてKもニコニコと、微笑んでいる。

 1999年9月21日、午後3時。成城グリーンプラザの2階。(5年経った現在はもうなくなって、跡には瀟酒なマンションが建っている。) これが丸明オールドが、他人の目に初めてさらされた時間。「素晴ラシイ。イツカ使ワセテモラウヨ」。Sは何度も何度も新書体を、その細い目でながめた。 「イインジャナイ!」。言葉数の多いわりに語彙の少ないSの、最大限の賛辞といっていい。 しかし、丸明オールドが世の中にデビューするのに、それほどの時間は必要なかった。 次の週に、Sにやってきた仕事が、コピーを中心にしたタイポグラフィの広告だったのだ。サントリーのビールの新聞広告。 麦100%と天然水仕込みを、強くメッセージする内容だ。地獄に仏、いや違う。千載一遇、ちょっと違うな。 砂漠にラクダ(?うーん、もういい!)とは、こんなことを言うのだろう。KがSに見せてから、わずか数週後の、いきなりのデビューとなった。 新聞十五段カラー、サントリー新モルツ。これほどまでの強力なお披露目はない、と言っていいほどの、メジャーデビューだった。 「大物ハ、イキナリ大物トシテ、デビュースル」というのが、Sがいつも抱いている持論なのだが。運命。 後からそう思えるほどの、丸明オールドの鮮烈なデビューだった。

 しかし、まだその段階では、フォント化はされていない。KはSから送られてくるコピーを、その都度一文字一文字作字して、切り貼りする作業に追われたのだが。 後にKは、こう振り返る。時間がタイトで大変苦労したが、「丸明オールドガ新聞広告ニナッタ、ソノ日ノ感激ハ、一生忘レナイダロウ」と。 ギョロリとしたタレぎみの大きな目に、涙をためて語るのだった。Sは事あるごとに、丸明オールドを使いまくった。 ある女性コピーライターから、またあの書体なの、と煙たがられたりもした。Sは、口から唾を飛ばしながら、丸明オールドの素晴らしさを語った。 そうしてSの仕事の中に、丸明オールドは数多く登場していった。

 丸明オールドによる「サントリー新モルツ」の新聞広告が掲載された2月のその日。 銀座にある「L」という広告会社の社長を兼務するアートディレクターHは、部下を呼んでその新聞広告を見せた。 この書体は何なのか。すぐ探すよう命令するのだった。しかし、まだ世の中に出ていない、その書体を見つけることは無理だった。 獅子奮迅(?)、東奔西走しても「L」の社員が探し出すことは不可能だったのだ。この日、この瞬間。日本の文字文化の歴史が動いた。 といったら大袈裟すぎるだろうか。カチリ。永くつづいた鎖国が解かれ、人が皆髷を切り、刀を捨てたように。西暦が2000年から、2001年に変り、20世紀が21世紀に移ったように。 カチリ。デザイン界にコンピュータが導入されて以来、Sが嘆いていたこと。日本の文字文化の低下、劣悪化。しかしこの瞬間に、新たな兆しがスタートしたのだ。カチリ。

 そうして2001年の春6月。丸明オールドがフォント化され製品化されるや、もの凄いスピードで、デザイン界に浸透していった。 それはKやSの想像を、はるかに超える速さだった。初めの内、これを使うと「Sのデザイン」に見えるから。と言って敬遠していたAD達も、徐々に屈していった。 もはや丸明オールドは、特殊な新書体としてでなく、永遠に愛されつづける、不朽の定番書体と言っていいほど数多くのADが使用しはじめた。 広告をはじめ、エディトリアル、装丁、TVCM、チラシの中にまで、丸明オールドは進出していった。 もちろん、それを決定づけたのは、あの、最初に掲載された新聞広告に目を止めたHの存在だった。 氏のライフワークともいえるマヨネーズの広告に、丸明オールドを使用したからだ。 AD界のボスであるHが使用した、ということは取りも直さず、丸明オールドが正式に世の中に認知された。ということであった。

 K本人が考える以上に、Kが個人の力で新書体をフォント化したことは、大きな出来事だった。 賞賛に値する行為であり、日本の文字文化に明るい未来を予感させる、エポックメイキングな事件だったのだ。(2005年2月/アートディレクター 副田高行)