砧書体制作所

Kinuta Font Factory

(旧 カタオカデザインワークス)


iroha gothicは
漢字とかなは別の文字という視点に立っています

右がひらかなの動き、左が漢字の動きです。漢字は楷書体で、ひらかなは草書体の動きともいえます。
日本語の組版で文字を並べることは、漢字の直線構成とひらかなの曲線構成を混ぜていることになります。
日本語の文章構成は、漢字、かな、アルファベット、数字、記号類とさまざまな 表情をもつキャラクターを混在して使っています。 かなが生まれた時点で、日本語は混在する運命にあったのではないでしょうか。
iroha gothicの漢字とかなは別書体という考え方は、ここからきています。
例えば、ブロック別の文章や台本のセリフ等、 同じシーンだけど微妙にニュアンスがちがうといった時にかなを使いわけその差を 表現することができます。これまでにはない文字組表現ができます。 シャッフルして使えるフォントとして覚えてください。


漢字だけで組むと
ロゴタイプのような見え方をします

漢字は共通です。線は均一化を計り、モダンにしました。 強さをだすために直線を意識し、安心感をだすためにふところを広くしています。 ふところを広くしたことは、小さなポイントの時やアウトライン指定で 太くした時のつぶれを防ぐ役割もしています。 先端部をあえて直角処理にしているため、 漢字だけを組むとロゴタイプのような見え方をします。




アルファベット、数字、約物類は漢字同様、共通になっています。住所など、漢字と数字だけの組合せが多いことを考慮しました。ギリシャ文字、ロシア文字も共通です。


モダンな、オーソドックスな、クラシックな、かなの形の違いです

かなの異なる12種類のシリーズです。
どのかなの線も漢字と同じように均一化を計っています。 線の動き、筆の動きの違いが形の違いで性格の違いになっています。 漢字に比べ線が細かったり、大きさが小さいといった書体があることも特長になっています。

枠内の「いろは」は12種のかなの骨格部分を大きくして重ねたものです。もっとバラツクと思っていましたが、ご覧の範囲です。考える範囲が意外と狭いのですね。かなり冒険をしたつもりでしたが、こんなもんだったか。が実感です。わずかな線の動きの違いが大きく影響するということなんですね。


回想ノート

ゴシックの理由

ゴシックが氾濫しています。タイトルと言えばゴシックです。いや、本文にまでもです。太過ぎて何が書いてあるのかわからなかったりします。相手かまわず商品かまわずの感があって暴力的ですらあります。強いから、目立つからなのでしょうか。目立っても読む気がしなければ逆効果だと思います。それで、ゴシック体でなにができるだろうと、なんとなくゴシック体が気になり始めました。漢字の横棒や縦棒の一本にどのような表情をもたせるかを考えました。しかし、この考え方は、明朝体をつくる時と同じ思考だと思いました。ゴシック体の特長は、近代的機能性と思っています。一画に表情やアクセントを求めても明朝体にはかなわないし、中途半端になる気がしました。むしろ表情やアクセントをつけない方が近代的です。ただつけないと、無表情で冷たい印象になります。これを補うために漢字は、ふところをおおきくしました。そして、その漢字に合うかなのバリエーションを揃えてデリカシーや琴線に触れる部分を満足させました。

書体設計

いま書体をつくろうと思っている人は、どの位いるでしょう。つくりたいと思う人は結構いそうな気がしますが実際に個人でつくって販売して生活している人は、意外と少ないです。書体をつくっても生活ができるとはいえないのでつらいのですが、若い人たちにもっと書体に興味を持ってもらえたらと思います。こんなにおもしろい深い世界があるのに気づいてくれないのが残念です。形になった時の達成感は、格別のものです。キーボードを打つと自分のつくった文字がモニターに出てくるんです。知らない多くの人がメッセージをつくり、そのメッセージを読んで、驚いたり、熱くなったり、涙したり、感謝したりするんです。とてもやりがいのある仕事です。書体は10年あれば2つはできます。幸福と苦難もたっぷり味わえます。この苦難は、文字が好きになればなるほどおもしろさに置き換わります。そして、自身の名前が歴史に残る仕事でもあります。

文字の性格

書体は、つくる人の性格がでるからおもしろいです。几帳面な人の几帳面な文字を手紙などで見かけます。ですから、おおらかで明るい人からはおおらかで明るい書体が生まれると思っています。そんなわけで、おおらかで明るい人に憧れます。普段、おおらかにとか、やさしくとか、明るくとかを心がけようとするのですが、なかなかできません。性格を変えようとしているのだから難しいと思います。でも意識していれば多少は近づけるかなと思っています。物事に対しては素直に取り組むよう心がけています。近ごろは、自然のもの、木や草花、水や空気、土や虫、鳥や風といったものにも目がいくようになりました。自然も循環しているし、人間社会も循環しています。地球そのものも、銀河系も循環していると思います。すべてがそれぞれのスピードで、古いものから新しいものへと置き換わっているわけです。人間社会のめまぐるしい循環作用はどういった性格を量産するのでしょうか。ふとそんなことが頭をよぎる時があります。

文字の下書きをする時に枠を意識します。枠は、ここからはみ出してはいけないというルール。枠一杯を使って書かれた文字は、文章を組んだ時に行が揃って見え、デザインがすっきりとした感じになります。ただ、文字の形は、窮屈になったり、強引な線の動きが生まれます。逆に、枠一杯に書かない文字はゆとりが生まれ、のびやかで自由さを生みます。ただ、行は凸凹します。デザインを優先するか、文字の形を優先するか、両方を満足させるのか、どんな書体にするのかの分かれ道です。人は考え方にもそれぞれ枠を持っています。固定概念という枠、セオリーという枠、常識という枠など、どれも大切ですがとらわれるとあたらしい発想は生まれません。現在は、書体をつくる道具がコンピュータに変わりました。枠にも活字時代の枠と写植時代の枠とデジタル時代の枠があるわけです。その違いを見つければ、新しい書体が生まれるヒントのひとつになるのではないかと思ったりしています。

歴史の偉大さ

書体づくりは伝統文化だと思っています。先人たちの遺産を次の世代に渡す。その時代の道具を使って、置き換える仕事だと思っています。漆職人や宮大工に似ているのかなと思ったりします。先人たちは、どんな気持ちで書体づくりをしていたのだろう。自然と過去を振り返ることに興味を持つようになります。ながい歴史を振り返るといまいる自分の立場がよくわかります。同じ悩みを発見したりすると急に元気になったりもします。歴史は偉大です。歴史が教えてくれるんです。歴史の中に答えがあります。私の場合、歴史の資料なくして書体づくりはできません。時間をかけコツコツと史実を紐解いている人たちがいます。文字がコード化になったときもいちはやくその仕組みや問題点をわかりやすく解説する人たちがいます。そういう人たちのお陰で私は書体をつくることができます。そういう人々にも感謝していることを、ここに記しておきます。

制作話